何かが出来ない

百姓の中で、ものの分かることが証明された人間は、もはや百姓とは呼ばないようにすればいいからです。
職業的・経済的な実利を目的とする科学技術研究分野では、目的と労働が一体化しますから、比較的、出口は見えやすく思想的な意味での混迷は余り起こらないと思います。

論理的・倫理的な普遍性だとか実存的な意味だとか、そういう方向性は出口はないというか、出口がないのを分かっていて『有限性と不条理』に観念と言語で楯突いているような印象がありますね。

世の中には、納得できる事象より、まだ未解決なタスクに溢れていると思ってますので、直接の行為者ではなくとも、当事者意識は持ち続けたいですし、できれば、新しいパラダイムを追求し続ける方向で暗中模索したいものです。

不可能に立ち向かうということを考えると、いつかは死ぬという生物学的な限界に、哲学や思想というのは抗い続けているのかもしれませんね。

また、現在の思考形態や理論体系のレベルでは、『何かが出来ない』という物理的な限界に、新しいパラダイムを適応して自然科学を支援するような文明発展の活動に興奮を見出している部分もあります。

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